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誰よりも頑張ってるはずなのに、なぜか報われない。 それは、あなたが「人に尽くすこと」に慣れすぎて、自分を後回しにしてきたからかもしれません。 この記事では、HSP気質で真面目すぎる自衛官が、自分をすり減らしすぎずに働くための気づきと、「辞める」という選択もあっていいんだと思えるまでの過程をお話しします。
「お姉ちゃんだから我慢しなさい」から始まった私の人生
私は長女として育ち、「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言われてきました。 甘えたい気持ちをぐっとこらえて、頑張ることで褒められる——それが当たり前になっていました。
自衛官としての28年、限界を迎えた瞬間
そしてそのまま大人になり、自衛官として28年。 そのうち25年は看護師(看護陸曹・看護官)として、病院や衛生隊で働いてきました。
厳しい現場と病院の女社会と部隊の男社会の人間関係に揉まれながら、「頑張ることが当然」と思い込んでいた私は、どんどん心と体をすり減らしていきました。
限界を迎えたのは、新型コロナウイルス流行のときでした。 開設準備中の感染症病棟で責任者を任され、混乱の中、常に「自分がなんとかしなきゃ」という思いで走り続けていました。
通常の病棟業務とは異なり、未知のウイルスに対する不安、適切な感染防護の知識の欠如、スタッフの緊張感——すべてが自分の肩にのしかかっていたように感じていました。 「ミスをしてはいけない」「スタッフに不安を与えてはいけない」と気を張り続けていました。
周囲には「休んで」と声をかけながら、自分は休まず、誰よりも残業し、細部にまで気を配っていたのです。 それが「責任者として当然」だと信じていました。
しかし、自分自身がどんどん蝕まれていく感覚がありました。 不眠、食欲の低下、過敏な感情反応——それでも「自分はまだやれる」と思っていたのです。
感染症閉鎖病棟での責任と心の限界
ある朝、家族がまだ寝ている早朝、ふと気がつくと涙が止まらなくなっていました。 理由はよくわからないけれど、ただ静かに流れ続ける涙を前に、何かが限界を迎えているのだと感じました。
その朝は、制服に手を伸ばす気にもなれず、ただぼんやりと時間が過ぎていきました。 「今日は無理かもしれない」という思いが胸に広がり、私は準備を進めることなく、静かに座っていました。 何も考えられず、ただ呼吸をゆっくり繰り返していたのを覚えています。
それは、身体だけでなく心の限界にようやく気づけた、本当にギリギリの朝でした。
けれど、その感覚すら「気のせい」と押し込めようとしていた自分もいました。 鏡に映った顔は血の気がなく、目の焦点も合っていない。 「このままじゃ壊れる」——ようやく、自分の状態にブレーキをかけることができました。
その後、私は上司にすべてを話し、しばらく出勤せずに休暇を取りました。 それは私にとって、初めて「立ち止まる」という選択でした。 病気休暇に入ることになり、心と体を休めながら、自分の人生について深く考える時間が持てました。
「定年まで続ける」だけが正解じゃない
そして最終的に、私は依願退職という選択をしました。 「本当に辞めていいのか」「逃げたと思われないか」——そんな迷いもたくさんありました。 けれど、自分の気持ちに正直になること、自分を守ることの大切さにようやく気づけたのです。
そこから私は、日々の暮らしの中で「自分を優先する」練習を始めました。 たとえば、誰かに頼まれたときにすぐに「いいよ」と言うのではなく、一度「自分は本当にやりたいのか?」と立ち止まって考える。
疲れているときは、掃除や洗濯を一日後に回す勇気を持つ。 そして、何より「できない自分」を否定せずに認めること。
最初は罪悪感でいっぱいでした。 でも、ほんの少しでも自分の気持ちに正直になることで、少しずつ「人のために尽くす自分」じゃない、新しい自分が見えてきました。
あなたも、自分を優先していい
今はもう自衛官ではありません。 「辞めるなんて逃げだ」と言われるかもしれない。 それでも、私は初めて自分の気持ちに向き合い、「我慢する人生から卒業する」決意ができました。
「定年まで続けなきゃいけない」なんて誰も決めていません。 頑張り続けることだけが誠実じゃない。
むしろ、自分を大切にできる選択こそが、本当の意味での強さだと思うようになりました。
あなたが頑張ってきたことは、ちゃんと価値があります。 でも、それ以上に「自分を大切にすること」も、同じくらい大事です。
人に合わせすぎず、自分の疲れを無視せず、「辞める」という選択肢も持っていい。
まずは、今日一つ、自分の気持ちを優先してみてください。 この記事があなたの心に、小さな「ゆるし」と「勇気」を届けられたら嬉しいです。